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2008年7月17日

モノ化する言葉 ~考えないしつけ~

教育する内容は決まっていたとしても、その仕方は段階がある。その段階を探るために、その対象となる人のことをしっかり見抜かなければならない。これができないために、コンピュータが何かを教えるという試みはことごとく失敗してきた。このように仕込まれた教育は、頭では分かっても、身につかない。人を殺してはいけないということはわかっていても、パニックになってしまえば殺してしまう。(パニックになるということも、生き方がうまくない所為なのだろう。) …人を殺してはいけないということを教えるには、人を殺そうと思いかけている段階にある人にしか、本当の意味では効果がない。

持論として、「道具は作り替えてこそ道具」だと考えている。つまり、道具は使うだけでなく、作ることができてこそ道具であり、道具としての命をもつ、ということである。なので、ここでいう道具とモノとはこの点で違っていて、モノが朽ちてゆくだけの存在に対して、道具は人によって作り替えられ、人とともに進歩する存在なのである。

さらに、「言葉は道具だ」と信じている。言葉もまた、人によって作りかえて運用されてこそ言葉だと信じているからだ。しかしながら、最近の言葉をとりまくことを考えてゆくと、誰かの言葉がそのままコピーされて蔓延しているような感覚がある。(もちろん、そうでない人の方が多数だということはわかっているが。)

朝、ポケットに1円玉を左右に5枚づつ入れておく。言葉を言うとき、明確な証拠のある言葉を言ったときは右の一円を左に。確かでないことを言ったときは左の一円を右に。一日が終わるとき、どちらのポケットが重くなっているだろうか?

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