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2009年7月24日

今だから言いたい、

CDが出た当時のことを。

「アナログにはすべての情報が入っているが、CDには44KHz以上の音の情報は入っていないし、16bitの階調に丸められている…」
しかし次第に、デジタルのメリットであるノイズの少なさや、損失のない高周波成分=摩耗のなさが万人に受け入れられ、レコードとカセットの時代は終わった。

今ではCDすらハイクオリティオーディオだ。MDになったあたりから、圧縮がかかる。
「CDは原音に近いが、MDは圧縮されてしまって、44KHz・16ビットの音は再生されるが、圧縮と伸長(データを小さくしたり元に戻したり)する間に、音がひずんでしまう…」
しかし次第に、膨大な量の音楽を入手・管理する都合上、規格が変われど圧縮オーディオは万人に受け入れられ、CD(無圧縮オーディオ)の時代は終わりつつある。

今や私たちは、食事にたとえるならば、粗雑な食材にある一定(低音と高音)の味付けをされた、自然音にはない、何ともいえない音を毎日耳にする。こういう主張は懐古主義的に聞こえ、どうも説得力に欠けるのだが、川のせせらぎとか、葉っぱのすれる音とか、虫の鳴き声などの自然音を直接耳にした時に、こういう話をふと思い出すのである。自然、とわざわざ強調しているのは、自然主義とでも言うか、ネイチャーの音は問答無用ですごいという主張ではないという意味で使っているためである。そぎ落とされていない、それぞれの耳の能力を最大限に発揮してもまだアラがわからないという意味で、自然音という言葉を使った。

ICTを実行するとき、どうしてもこの枠付けの問題を回避することができない。
ICTの教材を「録音」、授業を「再生」だとしたら、その「再生」の質が落ちていないだろうか?
子どもが全力でかかってもその枠を超えられないほどの枠を、経済が絡んだICTで提供できるんだろうか。

触覚とか嗅覚とか温度といった五感のICT化も目指されているけれども、それとともに、活動レベルでの録音と再生について、しっかり見る必要があるのかもしれない。

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