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2010年5月14日

iPadの居場所~Appleの居場所

 Appleのイベントでまさに「iPad」というガジェットがスクリーンに紹介されたときのことを思い出している。左側にはiPhone、右側にはMacbook Proがあり、その真ん中に2本の縦線が引かれた。その隙間に現れたモノがiPadだった。iPadの居場所がスライドショーの表すとおりだけであれば、この記事には何の意味もないけど、本当にそれだけか?というのが今回の記事。

 まず、AppleはApple以外のガジェットとの相互作用のことを、利用者に意識させないようにしていることがスライドからも見て取れる。Appleが他社製品をスクリーンに出すのは決まってそれを否定するためだけだった。しかし現在のWindowsは実のところXperia(Android)ともWindowsMobileとも接続され、iTunesもWindowsで動く様になっているし、Officeをはじめ多様なアプリケーションがユーザーと日々やりとりする多彩なノードである。だけれども、AppleはBonjourやiTunesの実装からも、Windowsを単なるiTunesストレージとしてしか見ていないようだ。
 この見方からすれば、MacはiPadやiPhoneから見て何者なのか、言い換えれば、Appleが成長させたがっている「Mac」と、できるだけMacにスイッチさせたいのであろう「Windows」との違いはなんだろうか?という点が疑問に思える。

自分のプライベートで利用する姿を思い出して考えると、まるで違いがない。ウェブを見て、メールを見て、返信して、Youtube見て、という感じである。仕事のことを考えると、Windows版Officeが使いやすいのでWindowsを選ぶ。仲間はMac&iWorkで仕事をしている人もいるので、これも百歩譲って同等と見なせば、まるで違いがない。どういうことだろう。MacとWindowsは単なる主義の違いだけなのか?

 とそれでは身がない記事で終わってしまうので、視点を広げて、報道された一連のことをまぜて考えると、MacはiPad/iPhoneのプログラミングプラットフォームなんだ、ということが頭に浮かんだ。これは何度か書いたし、結構合点がいっていた。Windowsは多数のメーカーが参入し、ほとんどのプラットフォームのアプリケーションを作成できる。また、FlashやJavaやエミュレーターのようなラッパーを被せることもできる。そうなるとユーザーはハードウェアに対して価値を見いださなくなる可能性は十分にある。ユーザーはサイズと値段と容姿を勘案して機種を選ぶ。アップルはユーザーが自由に機種を選べるということを避けているわけではないのだが、少なくともWindowsやLinuxに開発されることを避けている、と言えるのではないか。(これが本記事における「iPadの位置づけ」の回答。)報道にはJava非搭載の件は上がってきていないけれど、AppleはもちろんiPad/iPhone上にJavaを乗せる気なんてさらさらなかろう。アイラブAppleキャンペーンをSUNが始めたら面白そうだが、ラブコールを受け入れられるほどAppleはそのことを軽視していない。(もし軽視しているなら、Flashのラブコールも即座に受け入れるはずだから。)AppleはiPad/iPhoneのプログラミングプラットフォームとしてMacしか受け容れない。

もしこの見方がその通りなら、なぜダメかという点について、こういう見方もできる。(もちろん、他の見方もできるだろうけれど。たとえば単にラッパーがファットだからという理由とか。ごもっとも
開発という点を考えると、Windowsはユーザーにも開発者にも「自由」を与えてきた。その結果、エログロからウイルスから何から、すべて市場の気の向くままに看過してきた。Appleがコンピューターをまだ続けている理由は、そこを憎んでいるのではないだろうか、という見方だ。AppleはiPod初代の頃から、ユーザも開発者もフェアーであるべしと掲げてきた。iPodでは著作権管理を、iPhoneではポルノやバイオレンスといった一連の「EXPLICIT」な項目の制限を、それぞれ盛り込んできた。ウイルスの心配もないですよ、という台詞もMacユーザーには耳慣れたものだ。これもまた、WindowsとMacの決定的な違いと言える。Macはコンテンツ生成に関わる悪者を排除する仕組みを固持しようとしている。対してWindowsにとっての「悪者」は、WindowsかOfficeの違法コピーユーザーだけで、それを排除する仕組みだけは用意されている(と素朴に思う)。

 単なる一面を全体と思うわけではないけれど、Appleの理想を想像してみると、Appleの製品だけがある場所(ネットワーク)では安心して楽しめるというセカイが目指されている、というふうにイメージした。敷衍すれば、SoftbankにiPad予約の際にはクレジットカードによる身分証明をすべしとか、一人2台とか、その他いろいろごちゃごちゃ言うのもなんとなくわかるような気がする。Flash論争も、Flashが嫌いなわけではなくて、Adobeがアプリ検閲の仕組みを作るか、Appleに審査を委譲する手立てを用意しないことについて文句を言ってるのでは。

とまあ、なんとなく話しきった感じなので終わりますが、一言で言えば、つまりAppleは「Macはフェアな人だけ使ってくれればいいよ、でもMacbookじゃ重いし、iPhoneじゃ小さいだろうから、iPad出しておくから」と思っているんじゃないか、ということ。Dellのmini5が出ようがWin7タブレットが出ようが、はたまたAndroid Tabletが出ようが、Apple的にも市場的にも関係ないんです。フェアなことにかけてはAppleが一番だし、著作権者はスタート時点でもっともフェアなところを選ぶということは予想として固いので。人の著作を運ぶ乗り物としてiPod/iPhone/iPadは想像以上の長い時間をかけてそのルールを整備してきた。他社がポッと出したところで勝負にはならないだろう。(joojooとか!)

結局、スライド以上の意味は無かった(笑)。ただ、開発者にとってスライドの右側にあるガジェットはMacでなければならない、というのもなんとなくわかった。
いろいろ突っ込みどころも満載の筈。(なんでObjectiveC/C++/JavaScript以外のプログラミング言語を認めない理由の説明ができていない、とか。あんまり幅を広げると、バイナリで審査できないからとかかな?)
突っ込んでください。

ただ、いちメーカーがそんなこと考えてるかいな、と思った方は、
のあたりでAppleの哲学的な深みを垣間見ることができるんじゃないかと思います。
(元記事が契約期限切れで存在しないので、ブログを引用させてもらいました。英語の原文も載っています)

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