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2010年4月7日

久しぶりの秋葉原で感じたこと

秋葉原にはもはや値段決定権はないんだな,というのを感じた。中古市場と買い取りの市場はネットオークションで個人が勝手に(原価とか考えずに)決めちゃうんだ。今や中古市場の販売価格はジャンク屋と同じ相場になりつつあるし,個人がPCを売る場合にも,「お売りください」で買ってくれる店に行くよりオークションで売った方が高く売れる。
秋葉原にあったエコノミーは,情報を流して流通で売れるようになった今,結果として宅急便業者とオークションシステム運営者に分配されてしまっている。中古市場としての秋葉原はもう死に体なんだと思った。なのできっと買い取り希望の客足も減っているはずだ。全然「新しい中古」が見えてこない。旧世代の旧世代,Thinkpadで言えばX41とかX40レベルの奴らが結構な値段で転がっている。X200の中古とか見たことない。

そんな秋葉原でも,まだおもしろみがあり,時々は足を向けたくなるのは,現品一点ものがたくさん並んでいることとか,「買っちゃう決断」ができるところなのだろう,と思っていた。珍しいものもある。それを見つける楽しさは,相場は違うが主婦がバーゲンで服に群がるのと似た楽しさなんだろう。他業種の売り方に倣えば,スーパーの売り場みたいに「ただいまから○○が半額!半額!」というような#Akibaハッシュタグ的情報を流すのがおもしろいだろう。そもそも傷むものではないPCが半額というのもナンセンスな話なので,たとえばおまけをつけますとか,ポイント今から10分だけ3倍とか,そういうほうが「手に取った商品を確実にレジに運んでもらえる」し「購買意欲は盛り上が」るだろう。商品にQRコードをくっつけておいて,製品情報を見ていると唐突にポイント3倍ツイートが入るとかね。それとか,マグロの解体ショーならぬPCの解体ショーでもするとか。この部品はいくらで売るよ!とか。人が集まる,というのは大事だよね。
最近閑散としているデジカメももっと売り方があると思う。今の売り方は「見てください,撮ってみてください,新機能を試してください」だけで,別に「これすごい」とか「これほしい」というふうにはなりづらい。「あなたの機種はどれですか?」から「今の機種はこんなに違う」と展開していけば,すごいと思わせることはできるかもしれない。
そう考えると,モノを売るための手取り足取りというのはモノの仕事ではなくて,販売店の店員がすべきことだと思う。リアル店舗は現物があるからか,やはり情報の取捨選択が甘い。必要な情報がなかったり,不要な情報が多かったり。モノがすべてを語る時代はすでに終わっている。モノの魅力は背中で語るのではなく,手取り足取り語っていく必要があるのだろう。そこにリアル店員の労働があるんだし,報酬(むやみに安い下取り金額や,ネットよりは高い価格付けのこと)が発生すべきだと考える。

秋葉原でlenovo s10-3tを見てきた。静電容量式タッチパネル付き11.3インチ1024x600ディスプレイのコンパーチブルタブレットマシンだ。
目的の一つは,静電容量式タッチパネルの性能を見てみたかった。JoojooもiPadも静電容量式なので,果たしてどのくらい精度が出るのか(蛍光ペンくらいなら引けるのか?文字も書けるのか?とか)を確かめておきたかったから。これはやはりというか,精度はあまりよくはない。文字を書こうとすると,5センチ角くらいの文字になってしまう。これでは大きすぎる。文字は無理でも,蛍光ペンくらいなら,できそうだ。HP Slateも,せいぜいソフトキーボードが限界で手書き認識はあきらめるべきだと思う。マルチタッチ画面でのソフトウェアキーボードは思いの外早くタイピングできることは確かめられたので,手書きはタブレットPCの特権ということで好いと思う。
もう一つの目的は,ゼロプレッシャーな指タッチに特化したUIがどういうUXを生むのか,というのを確かめてみたかった。レノボは一応「めくれるtxt pdfリーダー」(平たく言えばiBooksもどき)を既にs10-3tに搭載してきていた。立ち上げると「新しい本棚」という文字が書かれた空の書架が出てきて,そこにtxtファイルなりPDFを登録して,タッチでビューア画面が開く…という至ってシンプルな,旧世代のソフトウェアだ。タッチパネルはとても快適に動作した。指圧はまったくなくドラッグできる。マルチタッチもおもしろいくらい快適だ。だが,テキストファイルは文字化けしたし,ファイルは登録しないと書架に入らない。しかも1つの書架には9つのファイルしか登録できない。いったい何冊の本を読むことをデザインしているのかわからないし,そもそもあまりに素朴なグラフィックのせいか,図書館とも書店とも書斎とも勉強机ともつかない微妙な空間を生み出してしまっている。きっと制作者がこの微妙な空間に図書館だとかいろいろな意味を付け加えてしまっているがために,そこにセカイを見いだせないユーザーが奇妙さを感じるという構造をみた。
これはLenovoだけが悪いわけではない。Microsoftのプログラミングモデルにも問題はある。タッチが簡単にインテグレートされているWindowsSDKは,TabletPC SDK時代に比べたら革新的な技術だと思う。だけど,セカイとつながりやすいモデルはプログラマー任せで何も提供していない。結局のところ問題の核心はそこなのかもしれない。

iPadは電話通話を捨て,GPSすら捨て,書架というモノをPCの中に作り出した。これは,ユーザーから見ればたいしたことはない,当たり前のことかもしれないが,プログラミングの視点から見れば失敗に失敗を重ねて,ようやく作り出したモノ(書架)の復原状態といえる。Appleの物作りはこの努力があるからこそ,人を惹き付ける。lenovoのソフトには正直,魅力はない。自作のソフトでも,iPadほど魅力的なモノを作るスキルがない。結局のところ,lenovoのソフトにもかなわないんだから,第三者的魅力は生み出せない。

そういうわけで,何かをそぎ落としたものを機能と呼ぶなら,機能はそこまで重要ではない。大事なことは,大切な物をできるだけそぎ落とさないという姿勢なんであって,それをしたらしただけ価値が生まれる。ソフマップの店員さんは,s10-3tのバッテリは飛び出すのか,という質問にバッテリを持ってきて対応してくれたし,案の定飛び出すので「飛び出さないバッテリの取り扱いはあるか」という問いに,15分ほどかけて「ちょっと無理です」という返答を出してくれた。こっちはlenovoの様子を見ていただけなのに,そういう対応をされただけで,すっかりお客様気分になってしまった。それだけでも対応時間に見合う額を払うとか,アメリカのチップ制度みたいなものがあってもいいと思った。それで,なんとかごめんなさいを言って抜け出して,Vaio Pを見ていたら,アラブ系の顔立ちの店員さんがVaio Pの液晶画面をむんずとつかんで横にずらし,新たな機種をどすん,と置いて,がちゃがちゃと配線をつなぎ値札を置いた。

見ぬもの清しととるべきか,知らぬが仏ととるべきか。
オールドタイプな僕が店員なら裏に呼んで怒り散らすところだけれど,それでも売り上手な店員がいればお客様になってしまうのだろう。アキバは店員と客の国際化も相まって,非っ常~に奥深い。

とりとめがないですが,雑記と言うことでご勘弁を。

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