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2009年10月24日

データの寿命

ソフトウェアは、バージョンアップという形で脱皮して変化していかないと、淘汰されてしまう。<br>
ソフトウェアには、寿命がある。それはハードウェアよりも長いときもあれば短いときもある。同時に、データにも寿命があることを示す。
文明にも寿命がある。政権を替えたり、政策を変えたりして変化していかないとやっていけないのだ。地球資源というハードウェアが枯渇してくると、ソフトウェアはエコだとか省資源化を進めることになる。
文明とソフトウェアの違いはデータの存在だ。
認知主義的には、知識や記憶は脳の中にしか存在せず、それそのものが一体として外に出ることを想定していない。文化主義的には、知は分散していて、その共同体としてある活動を支えている、とする。コンピューターにとってデータはほとんどの場合自分の中にしか存在させない。だが、それを成員同士で共有しあうことで、ある成員のデータがダメになっても補うことができる。それだけでなく、誰かの知が他の成員にとって有効に働くこともある。RAIDではなく、成員間でデータを共有しあうことができるシステム、ERPよりももっと自由にそれができると、おもしろいかもしれない。名前をつけるなら、ネットワークRAIDってことになるか。

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