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2010年10月12日

パソコンでなければできないこと

「携帯があればいいじゃないの。ネットだってメールだってできるから寂しくないし。みんな使ってるし。壊れたらカメラのデータとか悲しすぎる。」厳密には違うかもしれないけど、いったん携帯を使い始めてしまえば、そういう理由で使ってる、使い続ける人は多いはず。
はやりのスマートフォンはインターネットと仲がいいので、データもアプリもインターネットから持ってくることが多い。それは便利だ。

でも便利が最上のことじゃないってことをパソコンは教えてくれた。

たとえば、モノを所有するということ(これはちょっと矛盾するけど)。パソコン変われど、それまでのパソコンで作ってきた文章や写真を所有すること。前のパソコンで使ってきたマウスを新しいパソコンに使うこと。モノを所有することは何かを残すために所有し、そして寿命を迎えたときにはそれを葬ること。これは携帯にはなくて、今でも昔の携帯を捨てられないのは、機械と作られたモノとを切り離して新しくする方法がないからだ。

次に、伝えることの難しさを教えてくれた。パソコンはそれ自体が複雑怪奇のものだから、それを理解するためには言葉に付随する印象や感情を抜きにして意味をくみ取ることが必要。これは同時に人から「たのしいことば」を奪ったかもしれない。それは作った人の責任であり、今後の課題だ。携帯は「たのしいことば」をつたえられるかもしれない。でも自分にあてはまる言葉を予測変換から探して見つけて作った文は、ほんとうに相手に届いているだろうか。言葉のすれ違いは時に重大な、深刻な、悲しい出来事につながるから、僕には自信をもてない。これはパソコンにも携帯にも言える問題だ。パソコンで意味のこもっていない文をつくることも簡単だからだ。

最後はモノを愛する(勘違いしないでね!)こと。誰かしら何かしらあるはず。ゲームのキャラクターのデータが消えたら、「今までの時間は何だったんだ!と怒るかもしれない。買ってすぐのパソコンが壊れたら「10万円もしたんだぞ!」と怒るかもしれない。携帯も圏外になっただけで「何で圏外なんだよ!」と最初の頃は思っていたかもしれない。それは自然なこと。大事なことはその次「なんでそうなるの?どうして?」「あ、そういう理由だったんだ。」「ならこれもこういう理由かもしれない」「ほかのことはどういう理由なんだろう」という探求の違い。この手順は他人がいないと追うことができないけれど、パソコンはその他のモノに比べてはるかに探求しがいがある。もしかしたら、その探求の結果得た知識は、仕事や将来にまでつながるかもしれない。このプロセスは人を愛することと似ているから、「モノを愛する」っていうタイトルにしてみた。

書くことは書いた。あとは読み手(あなたです)の想像にまかせます。作られたモノを使うことしかできない人にとって「無料」ほど好いモノはない。「無料」はなくなってほしくない。だけど、どこかの時点でモノを作る人になったとして、モノを無料にするというのは自分の人生の価値を0円にさせられるのと同じ。お金の払い方がわからないなら、人に聞いてみよう。

パソコンを使いこなすまでにはいろんな課題があるけれど、パソコンを使いこなしている自分を想像してみると、上に書いたようなことがいつもあって、それを有償無償で支える人たちがいて、有償のモノがあった。お金とパソコンは切り離せないけど、自分の言葉で4000字のレポートを打てるのはパソコンだからだし、予測変換で書いたレポートとかコピペしたレポートはすぐわかるし、読みたくもない。
もしパソコン=必須という図式がなくなってしまっていたら、僕はとても悲しい。きれいな日本語も写真もインターネットから消えていって、意味の伝わらない絵文字やコピペやへんてこりんな文ばかりが画面を覆っていくだろうから。

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