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2008年4月2日

絶対的価値と相対的価値

道具は今でも進歩している。
コンピュータにおいては、しかし、昔の進歩の質と最近の進歩の質が違うように思う。
たとえば、昔の進歩は音楽が鳴らせるようになったり、マウスでダイレクトマニピュレーションができるようになったり、カラー画像が印刷できるようになったり。
今の進歩は、今までの作業がより効率的にできるようになったり、手軽になったり、正確になったりということだと思う。あっと驚く新技術(たとえば、タブレットPC)であっても、何事もなかったかのように扱われる。

コンピュータが不自由で、「できないこと」が多かった時代は、多くの新機能が「できるようになる」変化だったのだろう。
できないことができるようになることには、それにしかできない、絶対的な価値があるんだと思う。
(マニュアルの整備や適切なガイダンスは、できない人ができるようになるという点で、これも価値がある。)

これに対して、できることがもっと効率的になったり、手軽になったり、正確になったりすることは、すでにあるものとの対比ということで、相対的な価値なのだろう。そして、コンピュータでいろいろなことができるようになってしまった今という時代は、ユーザーのプロトタイプとしてのコンピュータモデルを軽薄短小にすることだけが重要という時代なのかもしれない。

タブレットPC仲間の友人は、タブレットPCを買うときに「これはパソコンじゃない」と言った。
僕は今でも、タブレットPCを誰かに見せると「それパソコン?」と聞かれる。
このような出来事は、このシステムが従来からのコンピュータモデルとは違う、絶対的な価値をもっているということを示していると感じる。

道具は何でもできるかと言われるとそうではない。
しかし人間も万能ではないから、道具と人間の間には、まだまだ未開拓の可能性があるということである。
このような領域に絶対的な価値がある。
どのように開拓してゆくのかが、研究者や開発者の腕の見せ所、ということなのだろう。

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